期待
外は雨。
ここに入院して初めての雨。
明日は、私の手術だというのに鬱陶しいことだ。
まあ、別に天気なんて関係ないんだけれど…雨音は、なかなか眠れない夜には、すこし、うるさいかもしれない。
そういえば、目の手術をする前の日も寝付けなかったなぁ…
やっぱり、期待をこめてる手術の前はそうなのかも…。
「メープル、まだ起きてるの?」
「あ、え? うん」
「やっぱり、心配で眠れない? 大丈夫だよ、うまく行くって」
「わ、わかってるわよ、ね、眠れないのは昼にちょっとお昼寝しすぎたから。
べ、べつに、心配とかしてないんだから。そ、そういえば、バウムも、そろそろ退院ね」
結局、あたしたちは、ハンドルネームのほうが話しやすいってことで、バウムとメープルで呼び合ってる。
「うん、たぶん、メープルの手術が終わって、点滴がなくなって…
そうだなぁ…食事ができるようになるころにはもう退院してるかな?
でも、お見舞いにくるよ、おいしいもの持って」
「そう…期待しないで待ってるわ」
「期待して待っててよ」
「じゃあ、期待が外れたときは、どうなってもいいという覚悟はできてるわけね」
「いえ、期待しないで待ってください」
今度の入院では、チャットで話をしてるときよりいっぱい話ができて楽しかった。
退院してからも会って話がしたいな…なんて思いながら、知らないうちに眠っていた。
朝目を覚ますと、夕べの雨はすっかりやんでいた。
そろそろお姉ちゃんが来そうだな…あいつも来るのかな?
今日は、お姉ちゃんだけにして欲しいな。
「おはよう、郁乃ぉ〜」
やっぱり来た。だいすきな、お姉ちゃんだけど、この能天気なのは、今日はちょっとだけ鬱陶しい。
「おはよう、お姉ちゃん、今日は、あいつは来ないの?」
「気になる?」
「ん? 別に…来ないほうが清々する」
「そんな、言い方しないのぉ。今日は、郁乃の手術の日だから、愛佳だけのほうが良いだろうって言ってくれたのよ」
って言うことは、すっかりあたしの気持ちを読まれてるって事か…
もう、かなわないなあいつは…しっかり、お姉ちゃんの面倒みるんだぞ。
「ふ〜ん、そう、じゃあ、よろしく言っといて。どうせ、病院の前で待ってるんでしょ?」
「そ、そ、そんなことないわよ〜え〜と」
バカ。
「それより、郁乃大丈夫? 今日の手術」
「大丈夫、ぜんぜん問題ない。そこに問題ない見本がいるから、ぜんぜん心配ないって」
そう言って、バウムを指差した。バウムは、ハハハと笑って、姉に軽く会釈してくれた。
そういう言い方しないの失礼でしょとかなんとか言って、姉は、バウムと二言三言世間話をしていた。
バウムって、結構、こういう会話をそつ無くこなすのよね。
そうこうしてるうちに、手術の時間が来て、あたしは、手術室へ。
麻酔されて、意識が薄れていき、次に目が覚めると、病室に戻っていた。
まだ、麻酔が効いてるから、痛みはないみたいだし、麻酔が残ってるのかな? かなり眠い。
もう一回寝ようっと。
とはいえ、手術のあとって、検査やなんかで、起こされるから、寝たり起きたりで、手術が終わった翌日の昼ごろにようやく、起きる気分になってきた。
姉は、昨日も今日も来てくれて、あれこれやって帰ってくれる。
あたしは、そのたびに、憎まれ口を叩くのだけど、いやな顔ひとつしないで聞いてくれてる。
お姉ちゃん、ありがとうね。
もう少ししたら、あたし一人で何でも出来るようになって、お返しするから。
バウムの話によると、姉は、手術当日も、あたしが手術室から出てくるまでいてくれたらしい。
気にせず、あいつとデートすりゃいいのに、バカ姉。
「ところで、気分はどう? メープル?」
「うん? 別に、こんなものかなって感じ。やっと起き上がる気が起こってきたってところね」
「お医者さんが、お姉さんに話してるのを聞いてる限りは、手術はうまくいったみたいだよ。あとは、どれだけ適合するかってとこのようだね」
「そう…」
「ところで、メープル。
実は僕は、結構早く退院することになって、明日、退院になってしまいました。
メープルと一緒の部屋だったんで、うれしかったし、退院するのは、ちょっと寂しいけれど、お見舞いに来るね」
「そう…なんだ。おめでとうと言うべきね」
「ありがとう。メープルも早く退院できるように願ってるよ」
「ありがと。そうだ、バウム、ちょっとあたし動けないから、そこのあたしのバッグとってくれない? 中見たら殺すわよ」
バウムは、立ち上がると、あたしのテーブルの上のバッグを取ってくれた。
あたしは、それを受け取ると、ごそごそと中身をさぐった。
あった、これだ。
「バウム、こ、これ…」
「何、これ?」
「あんたの退院祝い。
べ、別に高いものじゃないし、単にチョコレートなんだけど…
そ、それから、中に、あたしの住所と電話番号が入ってるから。
そ、その、べ、別に電話してほしいって事じゃなくって、
もし、仮にあんたが、電話したいって思ったときのことを思って書いておいたの。
ほ、本当に、電話して欲しいんじゃないわよ」
「ありがと、メープル。メープルが退院したら、真っ先に電話するよ」
そう言って、バウムは、メモ用紙に、何かを書いて、あたしに渡した。
彼の電話番号と住所だった。
え? これって、結構遠いじゃない。もっと近くに住んでるのかと思ってた。
「バウムって、結構遠くに住んでるのね、もう少し近くかと思ってたんだけど…」
「うん、そうだね。今、メープルの住所見て、僕もそう思った」
あたしは、そのメモを丁寧に折りたたむと、バッグに入れた。今のあたしの宝物…
そして、次の日、バウムは退院していった。
それじゃ、メープル元気でねと最後に一言を残して…
退院の日には、妹さんとあと業者のひとかな?二人ぐらいが来て、荷物を持っていって帰った。
そういえば、ご両親の姿を一回も見なかったけど…って、うちもそうか。
たぶん、妹さんにまかせてるんだな。
その日から、毎日が、なんだか楽しくなくなっちゃって、お姉ちゃんにもずいぶん八つ当たりしたような気がする。
分かっているんだけど、バウムがいない生活なんで、もう考えられない。
あたし、知らない間に、ずいぶんバウムに依存するようになってたみたい。
そんな、ある日、あたしは、夢をみた。
夢の中のバウムはすっかり元気になっていて、ひとりで歩けるようになっていた。
それにひきかえ、あたしはいまだに、車椅子でしか動けなくて…
「バウム、すっかり回復したね。一人で歩けるんだ」
「あぁ、メープル、もうぜんぜん問題ないよ。メープルは歩けないの?」
「うん、まだ…」
「そうか、じゃあ、またね」
「え? 待ってよ〜バウム〜外でも友達でしょ、あたし達」
「う〜ん。そんなこと言ったかもしれないけど、いつまでも車椅子じゃ…ね。邪魔くさいしね。じゃあ、君もがんばってね。バイバイ」
「ちょ、バウム〜。あたしは、あなたがいないとだめなの…」
なんて夢なの? でも、本当に起こるかもしれない。
そういえば、バウムは全然お見舞いに来てくれてない。
もう、あたしの事なんか忘れてしまったのかも…
どうしよう、どうしよう…
電話したい…
でも…本当に、バイバイって言われたらどうしよう…
電話したい…
バウム…
あたしは、何日も悩んだ挙句、電話することにした。
日曜日なら、外来患者が来ないから、電話してても恥ずかしくないし、午前中なら検査もないし、電話しに行こう。
あたしは、ひとりで、車椅子に乗り込むと、
看護婦さんに見つからないように(…特にあれにみつかると、後が大変だから…)1階の公衆電話までたどり着いた。
電話番号を押すと、呼び出し音が続いた。
トゥルル…トゥルル…ガチャ
「はい、末森でございます」
「あ、あの、あたし、小牧郁乃と申します。末森俊樹さんと同じ病院に入院していたのですが、俊樹さんはご在宅でしょうか?」
「あ、はい、坊ちゃんですね。少々お待ちください」
坊ちゃん? 誰が? バウムが? ぷぷぷ、ちょっとおかしくなってきた。誰だろう今の。
「はい、もしもし、末森です」
あぁ、バウムの声だ。ひさしぶり。
「バウム? あ・た・し」
「え? ひょっとして メープル?」
「そうよ、ほかの女の子からじゃなくって、残念だった? 今電話に出たの誰? バウムのこと坊ちゃんって言ってたよ」
「え? いやメープルだと思ってたけど…もし違ってたらと思って…
そ、それから、さ、さっきのは、親戚のおばさん。
いつまで経っても人を子ども扱いするんだ。ところで、どうしたの?」
「あ〜忘れてる〜。退院したら、お見舞いに来るっていったじゃん」
「メープル、ごめん、忘れてないって。
ただ、ちょっと、こっちも色々あって、なかなか外出できなかったんだ。
こういうときは車椅子だと不便だね。そこまで行くとなると、ちょっと助けてもらわないと行けないから。
ごめん、気にはしていたんだ。退院するまでには絶対行くよ」
あはっ。よかった、まだ、車椅子なんだ…(こら、郁乃、人の不幸を喜ばない!)
「いいよ、バウム。来なくて良いから、ひとつだけ質問に答えて」
「いいよ」
「も、もし、もしさ、バウムが良くなって、一人で歩けるようになっても、
車椅子で生活してる人を、馬鹿にしたりしないよね…
あ、あの、あたしのことじゃないよ。たとえばの話、たとえばよ」
「も、もちろんだよ、そんなことするわけないだろ、見損なわないでくれよ。メープルは、僕の大事な友達だよ」
「あたしのことじゃないって言ってるだろ」
「ははは、わかった、わかった。たとえ話だね」
「うん。ごめん、変な電話した。えと、あたしのほうは、順調に回復してる。
もうすぐ退院できそうだから、本当にお見舞いに来なくて良いよ。
退院したら、また電話するから、どこかで会える?」
「もちろんだよ。電話待ってるよ」
「ありがとね、じゃあ、退院したら電話する。バイバイ」
「うん、じゃあ電話待ってるよ、バイバイ」
ガチャ…
よかった…バウムは、前のままだった。退院したら、会える! ようし、がんばるぞっと。
「退院したら、、また電話するから、どこかで会える?」
ふいに、後ろで、声が聞こえた。しかも、その台詞は、今あたしが言ったところだ。
振り返ると、一番聞かれたくなかった看護婦さん。
「な、なによ、き、聞いてたの?」
「は〜い。日曜だから、外来が来てないから、聞かれないと思ったら大間違いです〜。
この電話の場所で話すと、二階のナースステーションには良く聞こえるのよ〜。日曜限定だけどね」
「なにそれ〜」
「で、今のは、男? よね。退院したら会うんだ。
きゃー、ミッドナイトランデブーね。そして、ベッドの上で朝まで、組んづ解れつ。
一糸まとわぬ姿で目覚めた郁乃ちゃんに、夜明けのコーヒーを入れてくれる彼。
そして、二人はまた、夢の中へと…」
「あのね、脳みそ腐ってるんじゃないの?
今のは、あたしと同室だった末森さん。そんな話になるわけないじゃないの。友達よ、と・も・だ・ち」
「な〜んだ、つまんなーい」
と言いながら、握った拳の人差し指と中指の間から親指を出して、いつもの卑猥な動きをしていた。
「それ、やめなさいって、言ってるだろ」
「ま、でも、彼なら、包容力もありそうだし、優しそうだし、郁乃ちゃんにはぴったりかもね。それに…」
「それに?」
「い、いや、なんでもないわよ。患者のプライバシーについては、公言できないのでした」
「あ、っそう。別に興味ないから」
「はいはい、わかりました。じゃあ、そのクールな瞳で、ぜひ、撃墜してよね」
「ところで、仕事しなくていいの?」
「あっ、やば! じゃあ、病室に戻れなくなった郁乃ちゃんを病室まで送るって言う仕事するわ」
そういうと彼女は、あたしの後ろに回って入院したときのように、超特急で、病室に向かった。
「や、やめろ〜ぉおお。ナースのやることじゃないぞ〜」
その時、うしろで、『がんばんなさいよ』っていう声が聞こえたような気がした。
病室に着いて、振り返ると、何もなかったかのように、彼女は微笑んでいた。
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TH2ADの郁乃ストーリ、『予感』の続編です。バウムの退院後、ひとり置いてかれる郁乃…色々、考えてしまう郁乃。でも、電話でのバウムの言葉ひとつで元気になってしまう。恋する人は、現金なものです。特に恋する乙女は不安がいっぱいなのかもしれません…特に郁乃のようなツンデレキャラには…。退院ごの二人が楽しみです。いままで、かわいそうだったから、ハッピーエンドにしてあげようかな…なんて
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