揺れ動く心

 
ない! ない! どこで、なくしたんだろ…あ、そうか、昨日か…。
どうしよう…今頃残ってるはずはないし…あたしの宝物…
退院しても電話できなくなっちゃう…
 
さっき、ペンを探そうと何気なくバッグを見たら、バウムの住所と電話番号の書いてあるメモが見当たらない。
たぶん、昨日、電話したときに、電話台に置いてきてしまったのだろうと思う。
もう、昨日のことだし、掃除の人もいるし、残ってるはずがないよね…
でも、念のために、見に行ってこなきゃ…そう思ったとき、「おはよう〜郁乃〜」と能天気な声が聞こえた。
 
あ、お姉ちゃんだ。
 
「なによ、朝から能天気な声だして、ちょっと忙しいんだから邪魔しないで」
 
私は、姉のことは置いといて、1階の電話のところまで行くために、車椅子に乗ろうとしていた。
 
「あれぇ〜、そんなこと言っていいのかな〜」
 
と言いながら、一枚の紙切れを私の前でひらひらさせた。
えっ? まさか、それって…
 
「お、お姉ちゃん、それって…もしかして」
 
「そうよ〜郁乃の彼氏の住所と電話番号ですよ〜これ〜。
 さっき、看護婦さんから渡してあげてくださいと渡されたのよ〜昨日、公衆電話のところに忘れてたって」
 
あ、よかった〜見つかって…
って、喜んでる場合じゃないわよ! お姉ちゃん、勝手に妄想に走ってるし…。
 
「か、彼氏、なんかじゃないわよ! こないだまで、同室だった末森さんよ、末森さん。
 昨日、ちょっと電話してメモを忘れてきたのよ!」
 
「あれ? でも看護婦さんは、彼氏だって…どうも、かなり深い関係だとか…言ってたわよ。
 体のこともあるし、あんまり無茶したらだめよ」
 
「ど、ど、どうして、そういう話になるのよ、まったく…お姉ちゃん達じゃあるまいし」
 
「え? え? わたし達? そ、そ、そんなことしてないよ〜」
 
お姉ちゃん、もうバレバレだから…
 
「そ、それより、郁乃〜。さっき看護婦さんから聞いたんだけど、そろそろ、退院できそうだって?」
 
「うん、お医者さんは、特に変な兆候が見られなければ2、3日ぐらいで退院できるかもって、言ってたよ」
 
「そう〜、良かったわね〜。後でお医者さんに聞いておくね。なんだかね、郁乃がいないと家の中が寂しいの。
 前は、ずっと病院だったんだけど、退院してからは、郁乃がそこにいるのが当たり前になってしまったみたいで、
 なんだか家の中が、がら〜んとした感じなのよ」
 
「あ、そう。じゃあ、少ししたら、また五月蝿いのが帰ってあげるわよ」
 
あたしって、どうしてこういう言い方しかできないんだろ…
本当は嬉しいのに、照れると、つい、こういう言い方になっちゃうのよね。
気をつけないとバウムにも言ってしまいそう…って、もう言ってるか。
 
お姉ちゃんは、退院したら、退院祝いパーティーやろうね〜とか言って、ひとりで盛り上がってる。
『それって、単に、あいつを家に呼ぶ口実じゃないの』と喉まで出掛かった言葉をのみこんで、とりあえず、話は聞いてあげた。
 
料理はどうするとか、このみを呼ぼうかとか、お姉ちゃんは、ひとしきり話し終わると、お医者さんのところに、退院の話をするために部屋を出て行った。
 
お姉ちゃんは意外と早く戻ってきて、どうやら、退院は明後日になりそうと情報を仕入れて来た。 
明後日か…退院したらどうしようかな…また、電話しようかな。 
『メープルは、僕の大事な友達だよ』 
大事な友達…か。まあ、高望みはしないでおこう…今は、友達で十分。
 
なんて、バウムのことを考えていたら、自然と顔が出てしまっていたようで、お姉ちゃんに「体には気をつけてね〜」とからかわれてしまった。自分のことは棚に上げてよく言うんだから、このバカ姉は。なにか、仕返ししてやろ。
 
「そ、そういえば、今日あいつはどうしたのよ? 後から来るの? 
 あんまり、妹のお見舞いを口実にデートの待ち合わせに使わないでよね」
 
「そ、そ、そんなことはしてないわよ〜」
 
「でも、後から来るんでしょ」
 
「…う…うん」
 
「おなじじゃん」
 
「うう…」
 
 
そして2日後、あたしは予定通り退院し、タクシーに乗って無事帰還…と思いきや…あれ?
ここ、あいつの家じゃないの? お姉ちゃんどうなってるの?
タクシーはあいつの家の前で止まり、お姉ちゃんは当たり前のように降りていった?
中から、あいつが出てきて、荷物を運び入れて、最後にあたしをお姫様抱っこすると、家まで連れて行った。
 
「ちょ、ちょっと、待てよ、離せよ、こんな格好いやだ。お・ろ・せ」
 
あいつは、あたしの言うことなど無視して、玄関のところに置いてあった車椅子のところまで来ると、その上に座らせ、くるりと一回転させた。
あたしの目に入ってきたのは、「いくのん、退院おめでとう」と書いた横断幕…これ、絶対、このみの字だ。
 
…そ、そうか、退院パーティーなんだ…って、ようやく気がついた。
 
このみもいるし、雄二先輩もいる。
 
「いくのん、退院おめでと〜」
  
「郁乃ちゃん、おめでとう」
 
いつもなら、「こんなに大層にしなくても、たいした手術じゃないんだから…」と言うところだったんだけど、しおらしく「ありがと…」なんて言ってる自分が変だった。
 
どうやら、パーティーの料理はお姉ちゃんが腕によりをかけて作ったようで、あたしの大好物ばかりが並んでいた。それに、このみや、雄二先輩の話も楽しかったし、何より、みんなの気持ちが嬉しかった。
昔だったら、こういう事は鬱陶しくて、出席しなかったり、出ても、ふて腐れていたりしてたんだけど、それに比べるとずいぶん進歩ね…と、自分にご褒美。
 
お姉ちゃんはと、振り返ったとき、丁度、あいつが、携帯を切るのが見えた。
二人は、二言、三言話した後、玄関のほうに向かった。
 
二人が、玄関のドアを開けると、環先輩が車椅子に乗ったバウムを押しながら登場した。
 
「は〜い、注目。本日のスペシャルゲストよ」
 
え? え? ば、ば、バウム?? なんで?
 
「やあ、メープル退院おめでとう」
 
バウムはあたしのすぐそばまで来るとそう言ってくれた。
 
「あ、ありがと…で、でも、どうして?」
 
あたしは、頭の上に?を百個ぐらいつけていた。
 
「昨日、メープルのお姉さんから電話をもらったんだ。
 郁乃の退院パーティーをするので、できれば、僕に出席してくれないかと。
 僕は、即、来ることに決めたよ。だって、お見舞いにいけなかったからね」 
 
あ、そうか…このあいだのバウムの住所と電話番号書いた紙…お姉ちゃん見てるものな…
本当に、おせっかいなバカ姉…本当にバカなんだから…バカ姉…あ、ありがと。
 
「郁乃ったら、久しぶりに恋人に会って嬉しいのはわかるけど、皆さんに彼のこと紹介してくれない?」
 
お姉ちゃんが突然、そんなことを言い出した。
ちょ、ちょっと待ってよ、恋人じゃないって…なんか、あたしがそういう風にお姉ちゃんに話してるみたいじゃないの…
 
「お、お姉ちゃん! 違う! 違う! 恋人じゃないって。
 え〜と、本名、え〜と、なんだっけ? あ、末森俊樹さん、ハンドルネーム、バウムです。
 チャット仲間で、偶然、あの病院で出会っただけ。あ、バウムもあたしと同じ病気だから」
 
「あ、末森俊樹といいます。
 メープル、いや、郁乃さんとは、チャットでは昔からの知り合いだったんですが、先日、初めてお会いできました」
 
「はじめまして、あたし柚原このみです」 
 
「よろしく、俺、向坂雄二っす」
 
「あ、あなたも向坂の家の方なんですね」
 
それを聞いていた環先輩は、つかつかと雄二先輩に近寄っていって、いきなり、アイアンクローを…
 
「あ、いてててて、姉貴、割れる、割れる、割れる」
 
「雄二、もっと、ちゃんと自己紹介しなさい。末森一族の次期総帥よこの方は。
 ごめんなさいね、末森さん、できの悪い弟で…」
 
あれ? バウムって知り合い? なんで? あたしだけのバウムじゃないの?
そこで、あたしは、お姉ちゃんの横に立っているあいつの足を蹴ってみた。
 
「いて〜、なにすんだよ、郁乃」
 
「ねぇ、これどういうこと説明して。なんで、バウムが環先輩と知り合いなの?」
 
「あ〜、それね。それはね…」
 
と言って、話し始めたあいつの話をこんな話だった。
 
今回のパーティーを開催するに当たり、お姉ちゃんは、
バウムをどうやって連れてくるかということをあいつと相談したらしい。 
 
当日は、あたしの世話をするために、あいつとお姉ちゃんは離れられないから、
環先輩と雄二先輩にそれを頼んだそうだ。 
 
そのとき、末森という名前と住所を聞いた環先輩は、『その人なら私知ってるわよ』と言い出したとか。
彼女の話によれば、バウムの家は相当な資産家で、どうやら、環先輩の家よりかなり大きいそうだ。
そして、商売上の付き合いもあって、年に数度顔は合わせていると。
で、環先輩が、彼を迎えに行ったという訳のようだ。
 
あ、そうか…そういえば、前にバウムに電話したときに、
『…あ、はい、坊ちゃんですね。少々お待ちください』」って言ってたよね…
ということは、あれって、お手伝いさんなんだ、多分。
 
そうか…あたしって、すごい人と知り合いだったんだ。
あの、環先輩が、あんな話し方をするなんて…ちょっと、自慢かな…へへへ。
 
あたしは、バウムに近づいていき、声をかけた。
 
「バウム、知らなかった。あんたって、すごい家の人なんだね」
 
「え? まあ、そういうことだったんだけど、あまり知られちゃうのはいやだから、言わないようにはしてたんだ。
 だから、メープルにも隠してた、ごめん、謝るよ」
 
「うん、別にいいけど、すごいじゃない、環先輩は次期総帥って言ってたよ」
 
「でも、この体だろ…だから、完全にならなきゃ、それもないって事さ。
 世の中、そう、うまくはいかないって…がっかりした?」
 
「な、なんで、あたしががっかりしなくちゃいけないのよ。
 あたしは、同じ病気を抱える仲間のバウムが良くなったらなぁ…っていうことしか思ってないわよ。
 あんたの家のことには興味はないわ。」
 
「ははは、やっぱり、メープルだ。僕の思ったとおりの答えでした」
 
「そんなことより、バウム、今日は、来てくれてありがと。
 本当は、バウムの家って結構遠いから、退院してからどうやって会いに行こうか、結構困ってたんだ。
 だから、今日来てくれたのは、とっても嬉しい、ありがと」
 
「メープル。君の退院祝いなら、飛んでくるよ。
 もっとも、僕のほうも、向坂さん達の助力がなければ、ここまで、来れなかったかもしれないけれどね」 
 
「ぷぷっ、あたし達って、邪魔くさいわね、本当に。
 まあ、くだらないこと言ってないで、せっかく来たんだから楽しんでいってよね。お姉ちゃんの力作料理なんだから」
 
「そうさせてもらうよ」 
 
この日は、本当は、ちょっと疲れていたので、早く帰りたかったんだけど…バウムがいるなら話は別。
楽しくて、時間が経つのを忘れていたと言うのが実態だったけれどね。
 
そして、バウムは、来たときと同じように環先輩と一緒に帰って行った。
『今度は、僕の家のほうにも遊びに来てよ』と言葉を残して。
 
あたしは、お姉ちゃんに車椅子を押してもらいながら家路についた。荷物は当然、あいつが全部持って…。
 
「お姉ちゃん、ありがとね、バウムを呼んでくれて」
 
いつもは、おせっかいな性格も今日ばかりは嬉しかった。
 
「ううん、それより、ごめんね郁乃、勝手に郁乃のメモを盗み読みして。
 偶然、電話番号と住所がわかったからね…それに、看護婦さんは彼氏だって言ってたしね」
 
「それは、いいよ、おかげで…その…た、楽しかったし…あ、ありがと」
 
「でも、郁乃〜がんばらないと〜玉の輿よ」
 
「え? 何が?」
 
「だって、末森さんのところは、相当の資産家だっていうし、うまくいけば…ねぇ」
 
「あのねぇ、あたしは、彼のそんなところに惹かれたわけじゃありませんから。
 彼は、チャット仲間の中でも話しやすかったし、それに、結構やさ…
 あ、あ、あたし何言ってんだろ。か、か、関係ないから」
 
「そうなんだ〜ごちそうさま〜」
 
「関係ないって言ってるだろ〜」
 
姉にひやかされながら、あたしはようやく気づいた。
そうなんだ、客観的に見るとそういう状況になるんだ。
 
そういえば、バウムも『…世の中、そう、うまくはいかないって…がっかりした?』って言ってた。
バウムもそんな風にあたしのことを見てるんだろうか…
 
ううん、バウムはそんな風に思ってない。彼は、あたし自身を見てくれてると思う。
それに、友達になって欲しいって言ってくれたのはバウムだもん。そんなことがあるはずない。
 
バウムはそうじゃないとしても、バウムの家の人はあたしを見てどう思うんだろう…
同じように思うのかな? 身分が違うとか思われるのかな?
 
そうよね、たまたま、チャットでの知り合いで、同じ病気を持ってるとはいえ、あたし達って、ずいぶん背負ってるものが違うのよね。それって、釣り合わないって言われるのかしら。
 
うん、そんなの関係ないよ、昔の話じゃあるまいし…あたしは、バウム自身が好きになっただけ。
 
そんなことは関係ない。
 
そうよ…関係ない…
 
関係ない…
 
けど…たとえ、体が悪くてもバウムは御曹司。
あたしは、しがないサラリーマン家庭の娘(おとうさんごめんなさい)、しかも、こんな病気を抱えてる。
特に、なにかができるわけじゃないし、むしろ、人より劣っていることのほうが多い。
 
それに、バウムからは、好きだとか、付き合って欲しいとか言われたわけでもないし…友達だし…。
 
なんか、へこむなぁ…そう言えば、今度バウムの家にも遊びに来て、って、言われてたなぁ…
今、なんだか行きたくない…せめて、ちょっとでも歩けたらなぁ…
この車椅子さえなけりゃ、見た目にはわかんないんだけどなぁ…。
 
「ねぇ、お姉ちゃん。あたし、歩けるようになるかな?」
 
「そうね〜、ゆっくり練習していけばできるようになるんじゃない? でも、あせらないようにね」
 
あんまり、ゆっくりもしてられないよね…バウムの家に遊びに行くまでに少しで良いから歩けるようになりたいな…ううん、そうしよう。そして、バウムに認めてもらおう。
 
「お姉ちゃん、あたしがんばってみる」
 
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え〜と、バウムの前・だ・け・は、ちょっと可愛い郁乃ちゃんです。退院して、愛佳と貴明のおかげで、バウムに会うことができた郁乃でしたが、バウムの正体(?)もわかり、ちょっと、自慢げな郁乃と愛佳のちょっとした一言で不安になる郁乃を描いてみました。でも、よくよく考えてみると、全ては郁乃の一方的な思いで、バウムからは、特になにも言われてないんですね。まあ、友達になって欲しいといった時点で、半分ぐらいは、告白モードかな?とも思ってますが…。さて、次回は最終回。歩く練習をする郁乃とバウムはどうなるのでしょうか?いくのんは告白してもらえるのか…う〜ん、あと一回で終わるのかなぁ…。
 
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